向こう岸にわたる

なぜこんなに毎日が忙しいのだろう。

24時間のうち、睡眠時間を除いて、自分が真にやりたいこと(は無いのでダラダラする時間)はどのくらいできているだろうか、なぜこうなってしまったのか、と考えると、そういえば自分で今の職場をほかの人よりは比較的積極的に選択したんだよなあ、と昔のことを思い返してしまう。そういえば、就活対策というか面接対策で、自己分析と志望動機を固めておけよと言われたよな。当時は、一つの会社に仕えるだなんてまっぴらごめんだから、パブリックに貢献したいという思いで、民間セクターを辞退さえした。

 

課題山積であると同時に圧倒的リソース不足に陥った職場は、大企業のようなれど実態は中小企業のようだ。今のポストは幾分マシで、ミッションがなんとなく見えている。まあ、見えているだけでパスが引かれていないので、しばしばクリティカルを見逃して死んだりするのだが笑。

ともあれ、目標があるだけ精神的に楽なことは間違いない。しかし目標は実現可能性が伴わなければ戯言である。これが本当に戯言ならば何も気にしないが、この戯言が独り歩きしては困るので、注意が必要だ。ふつう目標にはその実現のための工程が伴う。そして工程が引かれていればいつまでに何をすればよいのかが明確であり、チームが前へと進みだす。ところが、目標はあれど、工程が引けない。怖くて引けないのだ。

 

あなたは神様で、国内における年間3000人の交通事故死者数を仮に半分の1500人になるようにすることを目標に据えたとする。初手としては、1500人分の事故を起こさないよう、彼らの気分や天候を変えたりするという具体的なアクションを実行やすい。しかし、それは同時に3000人のうちから今年1年に交通事故で死亡する1500人を選ぶという作業が伴うことに追って気が付く。さあ、これをどうして人間様にできようか。

 

どうにか目先の「簡単」なアクションを探し、それを丁寧に実施することで、その裏に潜む邪悪な選択からは目を背けられるのも永遠ではない。パブリックな立場であればこそ、そこに目を向けなければならないのがつらいところだ。

当然のことながら、私にその決断を下す権限などないのだが、そうであるがゆえ、目標と足元の間に大きな裂け目があり、不連続のような気がしてならない。単刀直入に言えば何のために今日一日業務に打ち込んでいるのか、振り返りようがない。これはなんとなく、地面の裂け目に向かってジリジリと前進しているだけの、徒労に感じてしまうのだ。

 

何がしたいのか、目標は何か。もしかすると自分の中にもこうした裂け目を見つけてしまったのかもしれない。橋を架けねば。