成長というより崩壊

深夜0時のことを、日付はそのままに24時と言ったりする。さて今の時刻はというと、まもなく深夜4時を回ろうかという時間であるが、なぜかiOSでは28時が一発変換できないようだ。

家に帰って一呼吸ついたらiOSも想定しない時間になっている。最近は眼球の裏側がズキズキするし、肩こりや頭痛も頻発気味だ。一方でそれに見合うような業務成果はないのだから、時間や健康を投げ打っている甲斐がない。

深夜帰宅が常態化したことによって、おかげさまで食生活も滅茶苦茶になっている。朝は食べない(時間がない)、昼はまだ食欲がないので抑えめにサンドイッチ1個(たいてい1パックあたり2個入っているので、残りの1個は捨てる)、夕方はオフィスに常備されているお菓子、そして帰宅する夜には①コンビニ弁当、②マック、③すき家の牛丼のいずれかを自宅でモゾモゾ食べるのだ。これを何年も繰り返したことによって、同期とすれ違うたびに「なんか痩せた?」と毎回聞かれるようになった。確かに腕時計が緩くなった感じはするけど、痩せたのだろうか?自覚症状はこれといってない。

自覚症状と言えばこのところセルフネグレクト気味になってきた気がする。もともと面倒臭がり屋であったが、少し油断するとゴミ出しや美容院の予約をサボる。どうしようも無くなっても、まだ耐える。そんな感じが最近強まった気がする。このまま「今これをしないと後々どうなるか」と考えるのを放棄するベクトルが強まれば、生き方が刹那的になってしまう懸念があるので、きちんとしたいわけだが、そう簡単に是正されないのが悩みの種である。人間えてして易きに流れるし、何かのトリガーを待つ他ないのだろうか。

特に顕著なのは睡眠不足ないし生活習慣の大きな乱れである。帰宅後、身の回りのことを済ませてから布団に入るも、誰と出世競争をするわけでもないのにいろいろ考えてしまって眠れない。瞼を閉じても睡魔を感じず、ただじっとしているだけになるから、その状態を脳は手持ち無沙汰(=暇)と認識する。暇なので、当然ながら暇つぶしを始める。ゲームはしないのでWikipedia巡回やYoutube鑑賞がそれだ。おかげスマホの時計は2時、3時、、、とみるみる進んでいく。当初こそ「ああ、2時はまずい」とか「3時は流石にやべえぞ」などと感じていたけれど、1ヶ月もすれば、そもそも眠くならないことをもって「6時くらいまでに眠くなったらラッキーだな」などとダメ人間の思考が頭を支配しだす。これによって、そのうち眠くなるのだからそれを待つのみ、という、今日は今日、明日は明日、的な状態に陥り、さしずめ明朝の起床時間などは預かり知らぬ、と認識するに至るのだ。このように無慈悲なバトンを渡された翌日の私は、とんでもなく悪いコンディションで1日のスタートを迎えさせられる。

2年前、このスパイラルに陥った私はとうとう自律神経失調症になり、3ヶ月ほど休職した。幸いにして復職後によくあるバックオフィス送りは免れ、それなりにキラキラした部署に留め置いていただいたので、プライドがズタズタになる事態は避けられたのはありがたかった。無論、私が抜けたことで混乱はあっただろうから、私はその時誓ったのである。次やったらもうダメだなと。以来自分でもブレーキを踏んだり、積極的に休みを取ったりしてコントロールするようになり、今の今まで生活習慣は持ち堪えている。しかしどうだろう。28時という、コンピュータ的に翌朝扱いの時間まで金曜日とみなして生活しているこの状況は、本当に無理をしていない状況なのだろうか。さらに言えば望んでこうなっているのだろうか。

今この瞬間も、頭痛や眩暈、焦点の定まらなさがありつつ、「暇」なのでブログを書いている。こんな事で本当に自分がやりたいことの時間など捻出できるのか、私はどこへ向かっているのか。