あ〜仕事辞めてぇ(n回目、結論なし);強くなって私はどうなりたいのか?誰に何を認めてもらいたいのか?

何のために生きているのか。

いつの間にか偉い人たちが練り上げた理屈が降りてきて、理解もそこそこに得体の知れないペーパーを作り、気づけば残業時間ばかりが積み上がる。一度きりの人生、これに何の意味があるのだろうか。と、また、よぎった(よぎってしまった)。

毎日のこれは、どこか馬鹿にしていたライン工や出稼ぎのように、自己実現に直結するものではなく、生活費捻出のための時間を切り売りに過ぎないし、もっと言えばその時間(=人生)さえも買い叩かれている。

…と思うほどに、仕事に意味を感じない。こんな仕事など健康でまともな人間なら誰でも出来るし、突き詰めたとてプロフェッショナルになれないし、仮にプロフェッショナルになれたとして、一体どこの誰がそのスキルを高く評価するのだろう(一応、自己の名誉のために付け加えると、作った資料は、何かの企画や何かの予算の獲得の一助にはなっているらしいが、だからどうした。)。

大学時代にあれほど考えていたはずの「人生をかけて達成したい何か」はいつの間にか指の間からこぼれ落ちてしまった。今はただ、空いた手のひらの寂しさを埋めるために、最低限、組織が私に期待していることは何かな、と考えている。

 

もちろん初めから、単に健康でまともな人間が欲しかった、ということで採用された可能性は大いにある。特に企画立案みたいな重要な業務は求めていないよ、と。なるほど、そもそも仕事に意味なんか無かったんだ、と。若干悔しいが、それならそれで、私自身は構わない。良い意味で諦めもつくし、頑張りどころが明確だ。

ところで、自分の仕事に大した意味など無いと整理できたとして(これはこれでとんでもないことであるが…)も、というか、それゆえにモチベーションは加速度的に削がれてしまう。なぜなら、組織において自分が軽んじられているように感じるからである。現に、ブルシット・ジョブで苦しんでいる私の席の隣では、ご立派な方々(在籍年数はそう変わらない)が、私の知らない研修や、大学時代の思い出などで盛り上がりながら、同窓会のような雰囲気の中で、組織の今後についてなど、意味ありげなことを議論し合っている。一方私は真意不明の書類の作成や調整事に追われ、出来ることといえば彼らの会話に聞き耳を立てることぐらい。同じ会社の同じ部署のはずなのに、何なんだこのコントラストは。

ただでさえこうなのだから、自分の仕事に意味が無いと整理してしまえば、もう、なんか、どうでも良くなる。知らねえよ、と。

 

とはいえ、とある理由から、入社当初から、こうなることはわかっていたのだが、心のどこかで何かを期待する自分がいたのだろう。ところがそんな思いも虚しく、在籍年数と反比例するようにモチベーションは下がり続ける。仕事に時間を食い尽くされ、とうとう自らの生活が疎かになると、ふと、今回のようなことが頭をよぎる。私はその度に、「もっと強くなれよ」と自らを奮い立たせてきた。しかし何度も何度も自分に暗示をかけるうちに、強くなって私はどうなりたいのか?誰に何を認めてもらいたいのか?と、“こだま”が返ってくるようになったのである。

…こういう時こそ改めてマインドセットをやり直したい。だが今のところこの組織に救世主はいないようだ。先人たちは諦めの境地を笑顔で語るか、いっときの慰めに走るばかりで、根本的な何か、軸となるようなものを持ち合わせる人間とは今の今まで出会えていないのだから。

 

アーメン